今回出来上がった供述調書を読んで、私が最も違和感を覚えたのは――
本件とは無関係ではないにせよ、私が口頭で述べた、真相解明のためにはあまり役には立たないようなエピソードを、検事がそのまま調書に書き込んでいたことだ。
それを加えるのは悪いことではないが、私の供述を「聞いてあげる」という姿勢を取りつつ、実際には論点から外れた逸話――たとえば話の流れで口にしたような事――検事はそのくだりを、驚くほど忠実に、話し言葉のまま調書に書き込んでいた。
これは明らかに意図的な操作だ。事実認定の焦点をずらすための、巧妙な“ぼかし”にしか見えなかった。
全体の構成もひらがなが多く、口語体を多用し、要点が分かりにくくなっていた。
もし検察審査会に持ち込まれても「これは統合失調症の高齢者によるまとまりのない訴え」と思わすような内容になっていると私の目には写った。
そして迎えた最終局面。
「こんな調書には署名押印はできない」と拒否の姿勢を示した私に
大塚尚検事は苛立ちを隠しきれず、こう言い放った。
「相手(照井)は、委任状作成はあなたの許可をとってやった、と主張しているんですよ」
これは何を意味するか。
最初から検察は、私を「統合失調症の告発人」、照井を「筋の通った反論をする被告発人」として対置し、最終的に「起訴猶予が妥当」または「不起訴」とするつもりだったのだろう。
検察としては結論は出ていた。
後は告発者(私)に言いたいことを言わせて、そのまま調書に盛り込む。それで納得させハンコを付かせて、起訴猶予または不起訴にし、もし検察審査会に持ち込まれても却下されるような内容の調書にしておく。
論点の整理ではなく、論点をぼかそうという意図が透けて見える聞き取りだった。
そして結論だけは用意されていた――「起訴猶予」か「不起訴」。
調書とは本来、真実を明確に記録するためのものであるはずだ。
だが今回の聞き取りと供述調書作成は、真実を曖昧にし、照井を守ることを目的とするべく最初から仕組まれていた。

(自宅で作成し送ることになった供述書)